放射性廃棄物をどう扱うか

放射性廃棄物をどう扱うか

今回は、「放射性廃棄物をどう扱うか」というテーマで考えたいと思います。

 まず、最初に「放射性廃棄物」って何か、という疑問が沸きます。日本では「放射性廃棄物(Radioactive Waste)」と呼んでいますが、海外では原子力関連施設で発生した「放射性廃棄物」は「核廃棄物(Nuclear Waste)」と呼んでいます。

「廃棄物」の取り扱いは、「放射性廃棄物」に限らず日本では制度的に非常に複雑怪奇になっているので全貌を理解することは難しい状況にあります。

 一般の廃棄物も通常は「産業廃棄物」と「産業廃棄物以外の一般廃棄物」に区別されて処理処分されています。身近な例として「乾電池」を考えた場合、「家庭」で発生して、廃棄物として処分する場合は一般廃棄物扱いとなりますが、家庭で使った「乾電池」を「会社」にもってきて捨てたとすると事業系廃棄物となり「産業廃棄物」となります。

 すなわち「物」としては同一であっても発生場所によって規制する法律が異なります。このため廃棄物としての性質ではなく、発生する場所で処理処分方法が異なるという、論理的ではない、おかしな状況はいたるところに生じます。これもいわゆる縦割り行政の弊害かもしれません。

 この種の問題は「放射性廃棄物」の分野では一段と顕著となります。「放射性」物質を含む廃棄物は、実は種々の場所で生じています。

 すぐ思い浮かぶのは、本テーマでもある原子力発電所で発生する使用済み燃料や、核燃料サイクル関連施設、研究施設から発生する主に「核原料物質や核燃料物質」で汚染された廃棄物です。「核原料物質」というのは、例えば天然に存在する「ウラン」や「トリウム」という元素です。

 原子力発電所で発生する(使用済み燃料以外の)廃棄物は、「ウラン」や「トリウム」ではなく、他の放射性物質(例えばコバルトやセシウム等)が主な放射線源となっています。

 これらは「核原料物質、核燃料物質および原子炉の規制に関する法律(通称、原子炉等規制法)」で規制されています。一般論では、原子力発電施設から生じる廃棄物は、この法律の規制を受けることになります。

 ただし「ウラン」や「トリウム」を含む廃棄物であってもチタン鉱石の残渣などの廃棄物は「鉱山保安法」で規制されることになります。しかし、厳密には鉱山保安法は「鉱業廃棄物」であっても「放射性物質およびこれにより汚染されたものを除く」という規定があります。

RI廃棄物について

 この他、放射性同位元素(RI:ラジオアイソトープ)を用いている事業所で発生する「RI廃棄物」は、「放射線障害防止法」、正式には「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律」で規制を受けています。

 RIは煙感知器、分析装置や工業計測用機器等に組み込まれた形態で利用されており、身近にも沢山のRI利用品があります。

 病院または診療所において使用する診療用放射性同位元素、およびエックス線装置を含めての放射線発生装置については「医療法」で規制を受けています。

 ちなみに一般の「廃棄物」は、「廃棄物の処理および清掃に関する法律(通称、廃棄物処理法)」で規制されていますが、「放射性物質およびこれによって汚染された物を除く」と規定されています。

 すなわち、「放射性廃棄物」も発生場所ごとに規制する法律が異なり、これら全体のバランスを考慮した取り扱いは十分には確立されてはいません。「廃棄物」の中でも、特に「放射性廃棄物」は誰も触れたがらない領域という感じがします。

 個人的には「環境省」が国内の「放射性廃棄物」全体の調整役となるのが本来の姿と考えていますが、あまりに責任の重い仕事なのであまり触れたくない分野かもしれません。しかし「責任感」に基づき、バランスの取れた「放射性廃棄物」対策に取り組まれることを期待したいと思います。

原子力関連施設で発生する廃棄物について

 さて本題の「放射性廃棄物」、特に原子力関連施設で発生する廃棄物について考えてみたいと思います。これらの廃棄物は「原子核」エネルギー利用に伴って発生していることから、ここでは「核廃棄物」と呼びます。日本では「核」という言葉は「核兵器」を連想するので「放射性廃棄物」という呼び方をしているのではないか、と思います。

 「核廃棄物」に何となく感じる不安感は、非常に強い放射能を持った廃棄物であり、かつ非常に長期間の人間界からの隔離が必要である、ことに起因しているように思います。

 「核廃棄物」の代表は「高レベル放射性廃棄物」と呼ばれる廃棄物です。具体的には、原子炉から取り出した「使用済み燃料」と、この使用済み燃料を再処理した際に生じる「ガラス固化体」等があります。「ガラス固化体」は、イメージとしては容積150リットル程度の一般的なドラム缶よりちょっと小さいもので、重さは500kg程度のものです。

 青森県六ヶ所村で操業準備中の再処理工場で使用済燃料の再処理が本格的に開始(年間800トン-U)すると、最大年間1、000本程度のガラス固化体が発生すると言われています。

 国内では「核廃棄物」の問題は、基礎データを取得するための研究開発自体もなかなか進展しませんでしたが、高レベル放射性廃棄物の処分については「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」が2000年6月に公布され、徐々に本格的になってきました。

「高レベル廃棄物処分」の基本的な考え方は、まず「再処理」で使用済み燃料からウランとプルトニウムを回収し、残りの成分を「ガラス固化体」とします。次に「ガラス固化体」を30~50年間冷却貯蔵した後、人間の生活圏から隔離するため、地下300mより深い安定した地層中に埋設処分するという流れです。実際の処分開始は2030年以降と考えられており、当分は貯蔵状態が続きます。

半減期について

 ここで「放射性」と非常に関連のある「半減期」という言葉を少し考えてみたいと思います。広義の「放射性廃棄物」に含まれる放射性物質はさまざまで、それぞれの「放射線」を出す能力が異なります。しかも時間が経過すると「放射線」を出す能力(放射能)は徐々に低下します。ある時点であったこの能力が、半分になるまでの時間を「半減期」と呼んでいます。

 例えばある放射性物質の半減期が1年であった場合、5年後には(1/2)×(1/2)×(1/2)×(1/2)×(1/2)となり、放射能は当初の約1/30に減少します。さらに5年経過した10年後には当初の約1/1000となります。したがって、半減期が1年未満の放射性物質の場合、例えば100年経過するとほとんど無視できる程度の放射能にまで弱まります。

 多くの放射性核種は半減期が短く、ある程度の時間が経過すると非常に弱くなりますが、非常に「半減期」の長い放射性核種が存在します。例えばウラン-235(ちょっと軽いウランで原子炉用の燃料として重要です)の半減期は約7。0億年、ウラン-238(ちょっと重いウランで、原子炉内では主にプルトニウムという元素に変化します)の半減期は約45億年と人間にとっては永遠と呼べるような時間です。

 地球の年齢は約45億年と言われていますので、地球が誕生したころのウラン-235は今の約100倍、ウラン-238は今の約2倍は存在していたことになります。

 余談ですが、現在、天然にあるウラン中のウラン-235の比率は0。7%程度ですが、このままでは日本で利用しているような原子炉では使用できません。そこで、非常に大きなコストを投入して、ウラン-235の比率を3~5%程度に上げるための処理(「ウラン濃縮」と呼んでいます)を行っています。大昔の地球上のウラン-235の比率はかなり高かったことから、天然原子炉の存在も確認されています。

 ここでウランに関してやや詳しく触れたのは、「核廃棄物」を考える際には、自然界に存在する「ウラン」の放射能がある意味で比較対象として考えられることがあるためです。私たちが、日常生活で受けている自然放射線による被ばくのかなりの部分は、「ウラン」や「トリウム」などが崩壊して生成する「ラドン」等の娘核種(最近は子孫核種と呼ぶようです)に起因しています。

「ウラン」は、肥料、土壌、海水、鉱物、石炭の焼却灰等、至るところに存在しています。特に「ウラン」を多く含む鉱物が「ウラン鉱石」であり、これらを鉱物を採取、製錬して、ウラン燃料が製造されています。すなわち「ウラン鉱石」は私たち人類が共存を余儀なくされている「放射性物質」の代表と言えます。

 原子炉から取り出したばかりの「使用済み燃料」のもつ放射能は、自然界にある「ウラン鉱石」のもつ放射能の約1000万倍です。正直、差がありすぎて感覚的に比較ができません。しかし、原子炉から取り出した使用済み燃料も20~30年程度貯蔵していると放射能は当初の1/100から1/1000程度に減少します。すなわち、この時点ではウラン鉱石と比べて1~10万倍の放射能となります。

 さらにガラス固化体として貯蔵し、使用済み燃料の発生から100年程度が経過するとウラン鉱石の1万倍以下となります。発生から100年後に地層処分を行って約1万年が経過するとウラン鉱石並みの放射能となります。したがって、「1万年間」どうやって人間の生活圏から廃棄物を隔離するかが重要です。

 1万年という時間は、既に私たちの日常生活レベルでは理解を超える長さで、人類の歴史から言うと旧石器時代と中石器時代の境界くらいから現在までの期間に相当します。日本の縄文時代は約1万1000年~約8000年間くらい続いていますから、ちょうどこれと同等の期間に相当します。

 現代社会は「現在」を重視するあまり長期的な視点を失いがちです。1万年後どころか、人類の50年後、100年後の人間社会がどのような状況になっているのか想像することも容易ではありません。「核廃棄物」の問題は、人類が今後より長い時間スケールで物事を考えることの必要性を教えてくれます。

 私たちは「核廃棄物」以外にも沢山の廃棄物をたった数100年の短い期間で大量に生み出してきました。これらの多くは、既に環境中に放出されています。環境に一度放出したものを回収することは容易ではありません。

「核廃棄物」はある意味あまりに毒性が強いため、可能な限り「貯蔵」という形で扱われてきました。このようなことが可能であったのは、廃棄物としての発生量が他の廃棄物として格段に少ないためです。

「原子力」は「トイレなきマンション」と言われることがあります。すなわち「放射能」を無害化する技術がないことに起因します。しかし、エネルギー生産技術の中で「トイレのあるマンション」など存在しません。できるだけ安全と思われる形に変換して環境に放出し、あとは自然界の浄化能力に期待していたに過ぎません。

 人類のエネルギー消費量が小さい頃は、確かにそれでもあまり影響は出ませんでした。しかし、大量消費となった現在は自然界の浄化能力を超え始めており、ほとんど害がないと考えられていた二酸化炭素でさえ環境への排出が問題となっています。

「核廃棄物」に限らず、現在社会においては「廃棄物」の問題は避けて通ることはできません。もし、そうだとすれば厄介もの扱いすることなく、私たちの日常生活とは不可分のものと考えて、人間の持てる叡智を活用して解決策を考えることしか道はないように思います。

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